サックス侍のストーリー
サックス侍のストーリー / 講演でお話ししていること何もなかった少年が、侍になるまで。勉強も運動もできない、劣等感だらけの中学生でした。楽譜は今でも読めません。それでも「自分にしか歩めない道」を歩き続けた先に、サックス侍という生き方がありました。
はじめにPROLOGUE
編み笠をかぶり、街角でサックスを吹いています。ありがたいことに、いまでは数百人から千人規模の方が集まってくださるようになり、名古屋観光特使という肩書きもいただきました。
けれども、最初からこうだったわけではありません。むしろ、何もできない、暗い子どもからのスタートでした。うまくいかないことのほうが、ずっと多い人生です。
このページは、学校や企業でお話ししている講演の内容を、そのまま文章にしたものです。大切にしているのは二つだけ。うまくいかないことを、どう逆に活かすか。周囲から何を言われても、自分らしさを大切にして生きられるか。どなたかのこれからを考えるヒントになれば、これほど嬉しいことはありません。
自分らしさの原点CHAPTER 01 / ORIGIN
見ての通り、個性的な恰好で、個性的な活動をしています。つまり“自分らしさ”をとても大切にしています。その原点は、中学生のころにありました。
当時の私は、背も低くて太っていて、勉強も運動もできない。そんな自分に、大きな劣等感を抱えていました。ある時、意地悪な同級生からこう言われます。
「お前は何が楽しくて生きてるんだ?」
とてもひどい言葉です。けれどもこの言葉がきっかけで、「自分は何のために生きているんだろう」と、深く考えるようになりました。
かっこつけて哲学書を読み始めたのも、そのころです。分かりもしない言葉が並ぶ中で、ひとつだけ、突き刺さった言葉がありました。哲学者ニーチェの言葉です。
誰も歩めない道がある。
恐れるな、その道を行けフリードリヒ・ニーチェ
この言葉に出会い、「自分にしか歩めない人生を歩もう」と決めました。あれから何十年も経ちますが、いまでもこれが、私の人生のテーマです。
サックスとの出会いCHAPTER 02 / ENCOUNTER
では、“どんな道”を歩むのか。悩みながら探していたときに出会ったのが、サックスでした。
きっかけは、子どものころから大好きだった漫画「ジョジョの奇妙な冒険」です。登場するキャラクターの多くが、洋楽アーティストの名前から取られています。かっこつけて洋楽を聴こうとしていた私は、その名前を頼りにCDを探していました。
その中に、作中に“1コマだけ”登場する人物がいました。名前は「ケニーG」。サックスプレイヤーであることすら知らないまま、そのCDを手に取りました。
1曲目から、衝撃を受けました。
俺はサックスプレイヤーになるんだサックスを吹いたこともない、中学生の決意
この瞬間、「自分らしい生き方」と、それを「サックスで表現すること」が重なりました。ここから、私の人生が動き始めます。
才能は、ありませんでしたCHAPTER 03 / NO TALENT
「サックスを買いたい」という夢は持ち続けましたが、中学生にお金はありません。何年も夢見て、大学生になってアルバイトができるようになり、ようやく初めてサックスを買いました。いまも使っている、このテナーサックスです。
けれども大学時代は、周りより下手で、思い描いたような演奏はまるでできませんでした。才能はなかったのだと思います。
それでも、「これが自分の決めた生き方だ」というこだわりと、「サックスが大好きだ」という気持ちだけで、へたくそと言われてもやめませんでした。毎日のように自転車で河原へ行き、練習を続けました。
しかしその努力は、すぐには結果に結びつきませんでした。
一度、手放すCHAPTER 04 / LETTING GO
大学卒業後、私は結婚し、すぐに子どもも生まれました。仕事・家庭・サックス。そのすべてを、うまく両立させることはできませんでした。
当時の労働環境は過酷で、私はサックスをやめる決断をします。サックスは自分の生き方そのものでしたが、何より大切なのは「家族」でした。
ただ、そのとき思っていたことがあります。「本当に大切なことなら、またいつか始められる」ということです。
再スタートCHAPTER 05 / RESTART
十数年が経ち、生活が落ち着いた30代半ば。私は再びサックスを始めました。バンドにも入り、セッションにも参加し、さまざまな挑戦をした結果、たどり着いたのが「ストリートミュージシャン」というスタイルでした。
しかし最初は、ほとんど誰も立ち止まってくれませんでした。派手な演奏が得意ではなく、バラード中心の地味なスタイルだったからです。

誰も立ち止まらない時間の中で、それでも吹き続けていました
音楽の意味を知った日CHAPTER 06 / MEANING
「自分の演奏は、誰かの役に立っているのだろうか?」
そんなことを悩みながら続けていた、ある日のこと。大曽根駅で演奏していると、ひとりの女性が涙を流しながら聴いてくださっていました。そして、こうおっしゃいました。
余命を宣告されたんです大曽根駅で、ある日いただいた言葉
私は、何も言えませんでした。「自分の音楽は、この人に何ができたのだろうか」と自問しました。
けれども深く考えるうちに、気づいたのです。「自分の音は、人の悲しみに寄り添える音なんだ」と。
元気づける音ではないけれど、悲しみにそっと寄り添い、癒す音楽。これが私の音楽の“意味”であり、生きる意味になりました。
人生で、いちばんつらかった時期CHAPTER 07 / THE HARDEST TIME
こうして演奏の意味を見出し、SNSを中心に少しずつファンが増え、注目していただけるようになりました。ところが、うまくいき始めた私に、また大きな壁が立ちふさがります。SNSでの誹謗中傷です。
私は独学でサックスを始めたので、楽譜は今でも読めませんし、音楽理論もよくわかりません。一方、管楽器の世界は楽譜や理論に忠実な吹奏楽・ジャズが中心です。ごく一部ではあると思いますが、理論通りにやることだけが正解だと考える人たちから、ひどい言葉が向けられるようになりました。
中傷はどんどんエスカレートし、やがて友人や周囲の人間、そして家族にまで及びました。
中でもいちばん恐ろしかったのは、当時まだ小学生だった息子が巻き込まれたことです。ネット上には息子の個人情報までさらされました。そしてある日、息子が一人で公園にいるところへ、嫌がらせをしていたグループの一人が、親の目の届かないところで声をかけに来るという出来事まで起きたのです。
私を中心に、家族全員が非常に強い恐怖と怒りに駆られました。何の関係もない子どもにまで手が伸びたことは、今でも許せることではありません。
警察に相談し、被害の状況をSNSでもお伝えすることで、少しずつ状況を落ち着かせることはできました。それでも、私の人生の中で最もつらい時期でした。うまくいったらいったで、妬みから攻撃される。これは現代社会の大きな問題だと感じています。
当時のことをこうしてお話ししているのは、同じ思いをされている方が少なくないと感じているからです。あわせてお伝えしておきたいのは、現在は誹謗中傷に対する備えを整えているということです。
悪質な書き込みについては発信者情報の開示請求を行っています。実際に、損害賠償や刑事告訴に至った事例もあります。警察および弁護士にご協力いただける体制が整っています。対応にかかる費用もあらかじめ確保しています。
誹謗中傷は、書いた側が思っている以上に重い結果を招きます。どうかご自身のためにも、軽い気持ちで人を傷つけることのないよう、お願いいたします。
サックス侍、誕生CHAPTER 08 / THE BIRTH
そんな中で生まれたのが、いまのこのスタイル「サックス侍」です。誕生は2020年。コロナ禍が始まったばかりで、誰もが疑心暗鬼だった時期でした。
吹く楽器なので「不謹慎だ」と言われるのではないかと思い、フェイスシールドのようなものを付けられないかと考えて思いついたのが、侍がかぶるこの「浪人笠」でした。
ただ、理由はそれだけではありません。素顔で演奏していた時にひどい中傷を受け、家族まで巻き込まれた経験から、素顔や名前を伏せて活動する方法を探していたこと。そしてもうひとつ、当時とても陰湿な上司のもとで、自分の仕事を何もかも否定される状況にあったことです。
私の仕事はマーケティングで、企業や商品を世に知ってもらうことを長年やってきました。「このままでは自己肯定感が壊れてしまう」と思った私は、「では、自分自身を商品として有名にしてみよう」と考えたのです。自分のスキルを、自分に証明するために。
絶対にマイナスにしかならないと思っていた出来事です。けれども、この三つがあったからこそ、サックス侍は誕生しました。

逆境は、変わるチャンスCHAPTER 09 / ADVERSITY
うまくいっている時というのは、そのままでいいので、人は変わろうとしません。
けれども、うまくいっていない時は違います。「いまが苦しいから、変わりたい」と思える。つまり、変わるためのエネルギーが生まれるチャンスでもあるのです。
私の場合、何の取り柄もない劣等感だらけの子どもだったからこそ、生きる意味を探すきっかけになり、サックスと出会えました。誹謗中傷やコロナ禍、つらい職場環境があったからこそ、サックス侍という新しいスタイルが生まれました。
人間観光地へCHAPTER 10 / HUMAN LANDMARK
サックス侍としてお客さまが増えてきたころ、あるニュースを目にします。「名古屋が、魅力のない街ナンバーワンになった」というニュースでした。
それなら——と、私は考えました。人を集められるようになってきたのだから、県外からも人を呼べるようになって、自分自身が「人間観光地」になろうと。
そうした活動を評価いただき、いまでは史上5人目の「名古屋観光特使」にも任命していただきました。公園やストリートでのライブには、数百人から千人の方が集まってくださるようになっています。
その集客力を、観光に活かしています。県外でのライブでは名古屋観光のチラシをお配りし、商店街の活性化のために人を集め、伝統工芸である有松絞りのPRも行っています。人を集める力を、周りの人や地域のために使う。いまはそこに力を入れています。
これからの夢CHAPTER 11 / THE DREAM
静岡といえば富士山。東京といえば東京タワー。熊本といえば、くまモン。
名古屋の観光が少し弱いのは、観光地はたくさんあるのに、「名古屋といえばこれ」という分かりやすいシンボルがないことだと思っています。
それに、自分がなる。「名古屋といえば、サックス侍」と言っていただける存在を目指すことが、いまの目標です。
人の役に立つ、ということFOR SOMEONE
人の役に立つことは、一見きれいごとに見えますが、実はそうではないと思っています。
人間には「承認欲求」という、誰かに認められたいという気持ちがあります。これは決して悪い欲ではなく、「誰かの役に立つことで満たされる欲」なのです。
だから、“誰かの役に立てる何か”を見つけられれば、自分の存在意義を感じやすくなります。私にとってそれが、悲しむ人に寄り添う音楽でした。
まとめSUMMARY
色んな生き方がある。何もできない子どもだった私が、いまはこの生き方で、たくさんの方のお役に立てています。
あなたにしか歩めない道も、きっとどこかにあります。